Endless Journey

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コロナ引き籠もりで思ったこと

コロナ自粛のおかげで、この数ヶ月は自宅に籠もって沢山の本とレコードを購入して読み、聴き漁りました。世の中が不要不急のことを悪モノ扱いし、ミュージシャンや演劇関係者の仕事がすべて自粛となった頃に、結局、自分が欲するものは、好きで好きでたまらないそんな俗カルチャーたちなんですね。

引き籠もり中に気付いたことがありました。ネットでレコードばかり買っていたのですが、そういえばCDはここ何年も買ってないなーと・・アナログレコードが最近大きく見直されてきたとは聞いていたが、CDがここまで衰退するとは想像していなかった。今どきは曲は配信でリリースされるからCDは不要になってしまったと良く言われるが、じゃあアナログも一緒じゃないか??と思うわけです。

アナログレコードは、音楽を大衆に届ける媒体としての価値だけでなく、今日まで続くだけの意味があるのだと思います。それが本日のブログのメインテーマですね。

私の購入するレコードは60年代から70年代がほとんどです。私が生まれたのが1971年ですから当時の記憶なんてものは全くない音楽を掘っては聴くの繰り返しをしています。では、何故その時代の音楽を好んで聞くのかと言いますと、例えばイームズのラウンジチェアや柳宗理のバタフライチェアと同じ様にレコードは、繊細で美しく、作り込まれたものであるということ。もちろん駄作と呼ばれるものは無数に存在するが、その中でも人手に渡り繋がってきたレコードは、やはりそれだけで価値があるのです。私は、高価なファーストプレスなんて所有していませんが、今持っているものは作られてから40年以上経っているものがほとんどで、その繊細なレコード盤には傷なんてものはほとんど付いていない。それだけ今までのオーナーが大切にしてきたのでしょう。私たち昭和40年代より前に生を受けた者にとって、レコードはお小遣いを貯めてやっと1枚買えるほどの「宝物」でした。簡単にものが手に入ってしまう時代に作られたものと、もう2度と作られないであろうアナログレコードを中古で入手し、大事に大事にして、また次の世代に受け継いでいくもの・・価値に違いが出るのは当然でしょうね。

話は変わりますが、製図用の特殊なペンで「烏口」というのをご存知でしょうか?私の父は店舗のインテリアデザイナーだったので、家に大事に置いてあったのを覚えている。この烏口を使うと1ミリの間に10本の線が引ける。今ならCADでさらっと描けるので、そんな技術は無用の長物なのかもしれない。しかし、技術には、それを行う身体が伴う。そして高度に調整された身体においては、感覚の中に美意識が育まれる。実際に1ミリの間に10本の線を引く際は、呼吸の刻み方、集中力、身体全体の骨と筋肉の微細な制御、中心の取り方など高度な身体感覚が求められる。綺麗な線を引くには、烏口の先を砥石で研ぎ澄まし、道具の状態も整えなければならない。その中で磨かれ、身体に刻み込まれる美意識に、尊い価値がある。

レコードの触れ合ってるうちに、そんな考えが湧き上がってきた。

結局、ものづくりに携わる一人の人間として、アナログレコード的なものづくりをしていかなければならないと強く思った自粛引き籠もり期間でした。

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